イントロダクション

 タイトルにある『イワンのばか』は、DJ BAKUの本名・岩野ばくの由来である、ロシアの小説家・思想家、トルストイが19世紀後半に発表した大衆小説の作品名からきている。この民話風の作品では、純朴で、正直者のイワンが、金銭欲や権力欲、名声欲に惑わされることなく、愚直に生きることで、悪魔に騙されずにすむ、という物語が描かれている。
 つまり、「正直者はバカをみる」の逆をいく、金持ちや力の強い人間に媚びず、小器用に立ち回ることなく、自分の信じるやり方で一生懸命やっていれば、必ず報われるという考え方だ。どこからどう考えても、いまどきの日本ではまったくウケなさそうな教えだ。
 昔から変わらないといえばそうなのだろうけれども、最近のこの国の様子を見ていると、小器用に立ち回って、それなりに上手くやっているほうが圧倒的に得をする強固なシステムができあがってしまっているように思う。強者は弱者を食いものにし、また弱者も強者の論理に従うという悪循環からどうにもこうにも抜け出せないでいるように思える。
 いや、そもそも現実の世界で金銭欲や権力欲、名声欲の誘惑に揺さぶられない、できた人間などそうそういないわけで、『イワンのばか』は夢物語と言ってしまえば、そうなのだ。
 それでもDJ BAKUは、ある意味でイワンのばかを地で行っているところがある。ある意味で、と書いたのは、DJ BAKUもいろんな欲にそれなりに振り回されてきたようだし、なにより彼が成功者なのかどうか、現時点で当の本人はもとより、誰にもまだわからないからだ。それなりにカネがあって、名前もあれば、やりたいことができるようになるという経験もしてきただろう。
 が、そんなことは当たり前の話で、ここでもっとも重要なのは、DJ BAKUがどんなに不器用な形であっても、誰になんと言われようが、非難されようが、「魂を売らない」音楽をやるという意志を貫き通してきたことだ。さらに、天性の楽天志向と柔軟な性格、平等主義で、豪傑、曲者、変態揃いのこの国のインディペンデント・ミュージックの貴重な媒介者/紹介者であり続けたことも忘れてはならない。
 DJ BAKUに関しては、さまざまな誤解もあるように思うが、彼の一貫性や楽天性というものもこの連載記事で明らかになっていくだろう。
 2000年代を通じて、この国の、インディペンデントやアンダーグラウンドと形容される音楽シーンは、無限に思える可能性を提示し、人々に夢を与えてきた。それは『イワンのばか』ではないが、カネや権力よりも愚直さと向こう見ずな情熱が切り拓くことのできる未来があることを人々に示した。
 しかしである。震災や原発事故も大きかったのだろう、いま2000年代に希望を感じられたインディペンデントやアンダーグラウンドという概念の再考が迫られているように思う。
 そこで「東京と音楽とイワンのばか――10YEARS HISTORY 2003-2013」と題したこの連載記事では、DJ BAKUの10年のキャリアと人生と本音に迫りながら、2000年代以降のこの国のインディペンデント・ミュージックの歴史の貴重な断片を拾いあげていく。ここには、いまどき珍しい、豪快で、痛快なイワンのばかたちがたくさん登場する。
 もちろん、もっとも大切なのは現在である。DJ BAKUは実に5年ぶりとなるソロ・アルバムを発表する。すべてはそこにつながっていく。

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